求腰越状的一个版本的翻译

来源:百度知道 编辑:UC知道 时间:2024/09/25 18:21:23
很久以前看到的了
起头是

夜凉如水
月静如霜
是什么让你的身影这样凄凉...
是XX川的激流
还是屋岛的XX(貌似是檀之浦的??忘了)
.....

后面的忘了,只记得是腰越状的一个版本
求知道的人给出完全的
不是文言文翻译的版本
只记得开头是“ 夜凉如水,月静如霜”的这个 ,
是有人在文言文的译本上加工成为了一首诗的版本
结尾是“这字字血泪泣成的腰越状”

原文:
  意趣は、御代官の其の一に选ばれ、勅宣の御使として朝敌を倾け累代弓箭の艺を顕し、会稽の耻辱を雪ぐ、抽赏せらるべき所に、思いの外に虎口の谗言に依って、莫大の勲功を黙止せられ、义経犯すこと无うして咎を蒙り、功有って误无しと虽も、御勘気を蒙るの间空しく红涙に沈む。情事の意を案ずるに、良薬は口に苦く、忠言は耳に逆らう、とは先言なり。

  ここに因って、谗者の実否を正されず、镰仓の中へ入れられざるの间、素意を述べること能はず、徒に数日を送る。此时に当たって永く恩颜を拝し奉らずんば、骨肉同胞の义既に空しきに似たり。宿运の极まる所か、将又先世の业因に感ずるか。悲しきかな。此の条、故亡父の尊霊再诞し给はずんば、谁人か愚意の悲叹を申抜き、何れの辈か哀怜を垂れん哉。

  事新しき申状、述懐に似たりと虽も、义経身体髪肤を父母に受け、几の时节を経ずして、故左马の头殿御他界の间、実无し子となって母の懐中に抱かれ、大和の国宇多の郡龙门の牧に赴きしより以来、一日片时も安堵の思に住せず、甲斐なき命を存ふ许と虽も、京都の経廻难治の间、诸国を流行せしめ、身を在々所々に隠し、辺土远国に栖まんが为に、土民百姓等に服仕せらる。

  然り而して幸庆忽ちに顺熟して、平家の一族追讨の为めに、上洛せしむるの手合に、木曽义仲を诛戮するの后、平家を攻め倾けんが为めに、或时は峨々たる大海に、风波の难を凌ぎて、身を海底に沈め、骸を鲸鲵の鳃(えら)に悬けんことを痛まず。加之、甲胄を枕とし、弓箭を业とする本意、并せて亡魂の愤を休め奉り、年来の宿望を遂げんと欲する外に他事无し。剰へ、义経五位の尉に补任せられるの条、当家の面目、希代の重职、何事か是に加へん。然りと虽も、今忧深く叹切なり、佛神の御助にあらざるより外は、争でか愁诉を达せん。ここに因って、诸神诸社の牛王宝印の裏を以て、全く野心を挿まざる旨、日本国中大小の神只冥道を请じ惊かし奉って、数通の起请文を书き进ずと虽も、犹ほ以て御宥免无し。我国は神国なり、神は非礼を禀けたまふ可からず、冯む所他にあらず、偏に贵殿广大の御慈悲を仰ぐのみ。

  便宜を伺い、高闻に达せしめ、秘计を廻らされて、误无き旨を优せられ、芳免に预らば、积善の余庆を家门に及ぼし、栄华永く子孙に伝へ、仍(